回想録 小学生編7

今日のポエム

 世界は路上にぶちまけた吐瀉物みたいにぐちゃぐちゃしている。

 

狂牛病

牛海綿状脳症、通称狂牛病、が問題になった時期がある。牛が食べた餌に、異常なタンパク質が含まれていて、牛の脳みそがスカスカになる病気だ。病気に感染した羊を牛の飼料に混ぜてたのが原因らしい。日本では、アメリカ産の牛肉が全面的に輸入禁止になった。代わりにオーストラリアから輸入してたはずだ。


小学校の通学路の途中には、フォルクスがあった。ステーキやハンバーグを提供するレストラン。狂牛病のニュースが出るまでは結構賑わいがあった。
ニュースが流れたあとは、見事な閑古鳥だった。フォルクスは、オーストラリア産牛で狂牛病の心配はないです!広告をだし、懸命に負の印象を払拭しようしていた。大人達を明らかに牛を回避していた。国産の牛も、どの牛もまるで危ない。そんな異様な空気があった。

 

牛の肉が安売りされてた気がする。逆にチャンスだったと思うのに。スーパーには豚肉ばかり並んでいた。ニュースのせいか誰もが、牛を食べなかった。狂牛病は下手すると、人間に感染する恐れがあるから、と。
数年もすると、狂牛病があったなんてこともみんな忘れ始めフォルクスへの人気は戻ったようだ。よく潰れなかったな。イメージキャンペーンは強いよ。悪いイメージは特にね。

 

 

 花火大会

近くには利根川が流れていている。利根川は、日本で川の面積が一番でかい。 流域面積という。 長さが3番だっけ?2番?一番は信濃川だよね。ナイル川が長いくらいしか覚えてないよ。ミシシッピ川も何かすごかったはずやで。


毎年夏の途中に、手賀沼花火大会がある。空にでっかく花火がとびかう。恋人がいればロマンチックなキスができるんじゃないですか?したことないですけど。何か思い出を探ってみたんやけど、見事に1人でいった思い出しかない。というか今年の夏だ。1人で散歩がてら行ってきた。
ひきこもりでも、花火に夏の風情を感じたい。

友人たちと一緒に見に行った記憶はあるんだけど…、女の子とは行ったことないなぁ。

 


手賀沼ボート

手賀沼と言えば、父のヨットの話がある。父はヨットが上手い。手賀沼のヨットレースで何度も一位をとったと豪語していた。最近は歳のせいか、ヨットはやっていない。彼は俺を孕ませた時には50を超えていたんじゃなかろうか。


子供のころの夏休みやら、土日やら、やたらとヨットにのせられていた。その頃の手賀沼は、日本で一番汚いと言われていたときより多少水質が改善されていた。
ヨットは意外とスピードが出る。凪のときはまるで亀のごとくとぼとぼ動くが、少しの風でも吹き始めれば軽快に動き出す。電動ではなく、風を帆にうけて前進する形式だ。ヨットの帆を支えるマストから、横向きに突き出した支柱がある。その支柱を動かして、うまく風を受け止める。


子供の身長でも、支柱にぶつかる。後頭部を強打して、うめく。ヨットは揺れるし、バランスを崩してヨットの中に倒れる。
なんでおれはここにいるんだ?


座って、水面に手を突っ込んで切るように水をかき分けるのはすきだった。水面から飛び立つような、手が水を裂くように切るのだ。水しぶきも気持ちがいい。ずぶ濡れになるまではね。


おたまを洗う

水道の蛇口をひねり、おたまのすくう部分に当てる。十分な高さがあれば、水は曲面を滑りきれいな傘のような形になる。スプーンのほうが分かりやすいか。
不思議でキレイだ。クラゲみたい。いつまでも見ていられる。水の無駄だと殴られて止められるまではね。たしかに水が無駄になる。


上履き洗い

毎週上履きを洗ってたかなぁ?流石にそんな頻度では洗ってなかった気がする。かなり汚い上履きを履いていた。はだしならば、上履きを洗う必要もないのにね。なんなら人間冬以外は全裸ですごすべきだと思う。


夏休みや冬休み、あるいは学期末には必ず上履きを持って帰る必要があった。小学生の学期末は楽しさへの号砲であるとともに、帰宅への憂鬱の時期でも会った。持って帰らなくちゃいけないものが多すぎる。朝顔の鉢やら、道具箱やら、教科書に、以上に多いプリントに宿題類。嫌がらせだわ。上履きに、習字セット、絵の具セットにその他諸々。


机のなかみを空っぽにして、ロッカーも空っぽにする。また来学期同じもの詰め込むんだ。意味わからないですね。家で使わない、使う必要がないものまで持って帰らされたことに抗議すら許されないとはな。治外法権の説明になるくらい、学校ってのは俺様ルールがまかり通っていた。朝顔の植木鉢なんて、持って返ってもろくに世話をする気もない。父が世話をしなかったら、三日で干からびてたろう。あの頃も夏は暑かった。今は温暖化で冬が寒くない。


上履き洗い、特に嫌だった。母からの口出しがね。自発的な掃除がきらいなわけじゃない。むしろ掃除しやすいように整理することはすきだ。部屋はキレイに保つ。掃除もする。皿洗いもすきだ。増えすぎた物の整理もすっぱりする。姉や母は自分のもちものを異常に増やす割に、減らさない。服のクローゼットの99%は姉か父か母の服だ。何年も来ない服をなぜ残す?1%に僕の服を詰め込んでいる。


約4ヶ月分の汚れを一身に引き受けた上履き君は臭く、磨いても擦ってもまるで綺麗にならない。脂がこびりついている。今やつなら熱いお湯に漂白剤でもぶちこむかな。子供のときでも、洗濯機にぶちこんでやれば多少うまくいったかな?子供の非力な手洗いよりは効果があると思う。握力10kgもないぞ。


母は、ピカピカになるまでなんどでもやり直しをさせた。はぁ、監督様は楽でございますね。新品同然にする気もなく、いやいや機械のように磨く。いかにバレないように庭に干して、回収するかが問題だった。根性論とたわしだけで黄ばみが落ちたら、洗剤メーカーはいらんわな。


ジャンガリアンハムスター

ふと思い出した。ペットを一度飼っていたことがある。僕ではない。姉だ。姉は女の子らしく、犬や猫を飼いたがった。母は断固として拒否をした。アレルギーらしい。私はペットに関心はなかった。今でも飼いたいとは思わないな。むしろ人肌のが恋しい。他人の体温はすきだ。落ち着く。


ペットのうんこや尿の世話、散歩の必要性。ペットを飼うにはやらなきゃいけないことがたくさんある。今でも経験値はない。マザー牧場の臭さに、動物はきついな―と結論づけた。でも、子供は口先だけなら頑張るからなんて言うもんだ。


結論として、犬や猫は飼わなかった。が、代わりにジャンガリアンハムスターが我が家にやってきた。小さく、世話の手間がかからない。丁度いいだろうと、父が気をきかせた。姉と一緒に買ってきたのだ。同時期にアニメとっとこハム太郎もやってた気がする。


ハム畜生への思い出は、指を噛まれて血がドバドバ出た思い出がある。俺は負けた。弱肉強食の世界に弟は無力だった。姉は最初は甲斐甲斐しく世話をしていたっけな?結末としては、世話を辞めたんだけどね。めんどくさかったのだろう。


幾日かたって、我が家で出た結論は、ジャンガリアンハムスターを逃がそう。飼育放棄=不法投棄と相成った。ジャンガリアンハムスターは飼育放棄という名の、姥捨山ならぬハム捨山に運命を託された。すでに天国か地獄だろう。俺たちは、太平洋へと旅立つ風船おじさんを見送るような気分だった。(適当言ってる)


ハムスター側としては、鬱蒼とした森に突如餌も何もなしに捨てられる。絶望、だろうか。彼は野生に帰れるのか?ツガイと合う可能性もほぼ0。一生独身。餌を探す術も持っているか分からない。残酷だね。ただ、逃したときこちらを振り返らなかったから、ぺっ、せいせいするぜ。あばよクズども。そんな吹き出しがあったかもしれない。


その時の影響からか、ペットを飼いたいと思わない。猫や犬は可愛い。しかしどうにも自らが責任を持つことに忌避感を覚える。彼らの命を、自らが握る。その重さを背負うが怖いのかも知れない。


まつり

住んでる街では夏に祭りがある。そこそこ大きい。ちっちゃいが山車が街を巡る。むさいおとこわっしょいわっしょい。ステージでは公演がある。出店が駅前の長い道路にずらずらりと立ち並ぶ。


確実に10回以上は行ったことが在るはず。友人たちや、時には家族と。でもどうにも記憶が薄いんだよな。自分が個ではなくて、全体の人混みの一部に過ぎないからか。
使えるお小遣いもそんなにあったわけじゃない。出店の焼きそばも美味しいからというより、腹を満たすため。少し高いな。でもお腹が減ってるし、友人も食べてるし。よし買うか。そんな程度。


鮎の塩焼きは珍しかったから、進んで買ったなぁ。楽しみにしていた、パリサクとはならなかった。皮はへにょ、むに。想像と違った。川鮎いつか焚き火で食ってやる。射的をやったはずだ。型抜きも人生で1度はやったことがある。金魚すくいは下手だった。標的を目標に直線で潜水、垂直に上げる。あー、水風船のヨーヨーは大変すきでございました。どこに消えてしまったスーパーボールも出店でとったものだろう。


祭りはすきだ、と思う。どちらかと言うと、祭りを楽しんでいる人々の雰囲気が好きだ。自らはその賑やかさをつくっても、混じり合っているわけではない。喧騒もあげない。
しかし、その場にいればそのどこか楽しそうな光景の一部になれる。そんな気持ちがある。今でも、どこか憧れのような理想を祭りに持っている。幻想的でぼんやりあたたかく、どこかにぎやかで淡くあかるい場所。僕の祭りの心象風景だ。


オーストラリアと姉妹都市

メルボルンか、シドニーか。トーランスか。オーストラリアのどっかの都市と姉妹都市らしい。姉妹都市、ってなんだよ。明らかに人種違うだろ。


小学校では、姉妹都市から留学?交流にやってくる人たちを歓迎する会があった。デブででかいオーストラリア人しか覚えていない。子供達が交流しにきていたっけ?うーん、かわいい美幼女の記憶がないぞ。多分相手は中学生を超えていた。デカかった気がする?うん、でかかった。


デブででかいオーストラリア人はしばらく逗留する先生らしい。英会話の時間だ。ヘッド、ショルダー、ニーエンドトゥ、ニーエントゥー?サイモンsays?フルーツバスケットもやったな。
道徳の時間をぶっ潰して、英会話ラジオ体操も踊った。小学校の道徳授業で道徳を習った記憶がねぇ。エーミルと蝶は国語だろ?国語でいいじゃん。哲学を学ぶわけでもないんだから。
デブででかいオーストラリア人はフルーツバスケットがやたら強かった。大人気なかったとも言う。走るデブ。今でもどこかで走ってるのだろうか。

 

椅子取りゲーム

でかいデブオーストラリア人といえば、歓迎会で椅子取りゲームもした。最後まで勝ち残ったのは、ヘアピンをした女の子だったきがする。椅子取りゲームは反射神経じゃなくて、ガタイ勝負だからね?そこ間違えないで?


相手をパンチやキックでノックアウトすることは、暗黙の反則だ。イスを力任せに引き寄せ、お尻で相手を吹き飛ばすのは公然の事実として許されてる。ローカルルールじゃないぜ?反則なんてないんだよ。バレても小学生なら許される。なんなら、ひどいやつは見えないように服を引っ張ってケツアタックの威力を増やすやつもいた。素直で純粋な少年僕はルールを理解していなかった。チビだったしな。


つまり、イスを掴む速さ。体重の重さ。ケツのデカさ。相手を殺すことを躊躇わない殺意。これが勝者の前提条件だ。もし、2人同じタイミングで椅子に座ったらどうなる?勢いがあれば、弾き飛ばせるだろ?おどおどしてる引っ込み思案なやつは、一番最初に脱落していく。
デブオーストラリア先生は流石に本気を出さなかった。あの百貫でぶが本気を出したら、少女も何もかも吹っ飛んでったろう。見てみたかったよ。


川崎?川越?初めての校外学習

小学校2年生だったかな。初めての校外学習。日帰りプチ旅行があったはずだ。遠足ともいう。ヤクザの街川崎、ではない。小学校連れて行くか?川がついた場所で、紫芋が有名な場所に行った。
川越、だっけ。500円のお小遣いを両親から受け取り、アイスを、食べたっけ?ろくな記憶力じゃねぇ。名産の紫芋アイスの代わりに、良くわからないおもちゃのちっちゃい刀剣類を買っていた気がする。マスターハンドの装備が増えた。一人遊びの彩りは大事だ。

 

I先生

小学校の僕のクラスは4クラスあった。担任は1クラスを2年間担当する。クラス替えも2年毎。クラス替えとともに担任も変わる。1,2年生、3,4年生、5,6年生で区切られているわけだ。ぼくは1-1,2-1,3-4,4-4,5-2,6-2だったかな。6年間一緒だった少女がひとりいる。3,4年制の担当はI先生であった。女性。吹奏楽部の担当。てことは、吹奏楽部あったんだな。小学校にも。いつもジャージを聞いてた。小学校の先生はジャージが標準か。


I先生にもめっちゃ怒られた記憶があんねん。高校まで怒られたことのない先生がおるのか?聞かないでくれ。
I先生は教室に自腹で本棚を作っていた、なんだか面白い題材や、子供向けのいたずら本などを朝に紹介しては本棚に置いた。どの本も小学生の心をうまく捉える素晴らしいチョイスだった。
人面犬口裂け女の本を置いたのはあたい許せへん。

 

手形をとる日があった。先生が丁寧に1人ずつ、朱肉を塗っていく。水を弾くのは若い証拠なんだよ。と、目の前の誰かを褒めていた。僕の手へ感想はなかった。え、なんか言うてよ。泣きそう。あるいは、そんな毎回同じセリフを吐かないか。36人以上おるんやぞ。ドラクエの村人じゃないんだから。


保健室の先生

先生といえば保健室の先生だ。女性である。低学年のときは、ぱっとしないおばさんだったが。4年生くらいに新しく新任した先生が天女みたいな女性でしたの。
美化されている?否、断じて否。中学生で再開したときも女神だった。すげー美人なのに性格がフランクで話しやすい。結婚しよ。心で終生の告白をした。同級生には、実際に付き合ってください!と言ったやつもいた。君、早熟すぎない?早熟君は中学生で異様なエピソードを残した。性的な意味だ。友人から成人してから教わった。早熟君すっごい。彼は立派なヤリチンになった。


名前が、あぁああ思い出せない。なんだっけ。焦る。喉元まで、前頭葉あたりでぐるぐるなにか回ってるのに。悔しい。え、ほんま。いちばん大事だろ。I先生とかどうでもええわ。担任の名前は覚えてるのに、肝心の女神のご尊名を忘れるなんて…。信者失格だ。


彼女は朗らかで笑顔のきれいな女性だった。初恋、だったかな?だったかも。彼女の教えてくれた一つのエピソードがある。ある日彼氏にこっぴどく振られた。なんのこっちゃってあの日は思ってたね。振られたとか振ったとか、恋愛の言葉も知らなかった。
過去への精算として、彼女は自らの髪を丸坊主にしたそうだ。思い切りが良すぎる。男らしいわぁ。残っていたら髪をください。彼女には少しの嫌味も感じなかった。大人のお姉さん。彼女に会いに保健室に行くのは楽しみだった。


日々どこかしら走り回ってアドレナリンラッシュ。脳内麻薬ドパドパな大麻ボーイだった。むろん生傷切り傷擦過傷が耐えなかった。体中痛い。過去最高に絆創膏と消毒液を消費したらしい。記録抜かれたくないなぁ。彼女に会う理由にもなってグッジョブである。


あ!もう一つエピソードを思い出した。腹痛で病院に連れて行ってもらった。
学校での当然の腹痛ほど、辛いものはない。トイレで粘っても何も出ない。授業中もお腹を抑えて、脂汗を流す。冷や汗も出て、呼吸も辛い。保健室に行ってこいと言われる。保健室に行くと、盲腸の可能性があるから病院に見てもらおうと行った。
病院に連れて行ってもらう。幸い盲腸ではなかった。先生はジュースを買ってくれたな。内緒だよ、そう言いながら。

 

母が来るまでは何も話をできなかった。話したかったさ!お腹が痛くてやばかった。お腹の痛みが人の想像できる最も強い苦しみだと思う。
彼女にはほんとに感謝である。小学校、中学校、高校で出会った先生の中で誰の好感度がもとっも高いか?官女が確実に一位だ。いつかまた会いたいね。おそらくもう結婚しているかもしれない。幸せに日々を過ごしていたら嬉しい。本当に愉快で明朗な人だった。ただ祈る。

 

 

 

さよなら三角またきて四角