回想録 小学生編16

 

なんちゃら山公園

近くに山がある。うちの周辺は古びた城跡が残ってたり、旧街道が通ってたりする。我孫子はかつて栄えていたから、そのとおりに道にある家の周辺は道路が多い。僕の街は、駅の周りは開発されて発展しているが、うちの周辺は田舎だ。住宅街である。ちょっとはなれれば田んぼだらけ。ほとんどは黒いアスファルトの道路。


アスレチックがある公園があった。車で連れて行ってもらっていたから、どれだけ離れているかは正直覚えていない。中学生辺りで自転車でいくと結構時間がかかった。車ってすごいな。
車を運転するのはもっぱら父親だった。親父が暇なときに、そのアスレチック公園に連れて行ってもらう。入場料もかからないから、財布にも優しかったんだろう。
アスレチックには20種類以上はあったのかな?綱渡りだったり、切り株の上をジャンプして地面に落ちないようにしたり、揺れる木の足場を渡ったり。ボルダリングのような壁を登ったり。最も子供にもできるような難易度だった。大人がやればいとも容易い作業だろう。体のサイズからして合わない可能性もある。垂直に地面から空にのびる鉄棒を登り、頂上にある輪っかにさわるアスレチックが苦手だった。握力なのかな?何の変哲もない鉄棒を登る。学校にもあって何回か練習したけど、どうもうまくイカなかった。


焼肉屋

母親とごはん処にいくと、多くの場合は、家で作れる。家で作ったほうが美味しいと言う。そうかなぁ?と疑問符が頭にぽかぽか浮かぶわけ。外食でも美味しいところまずいところはもちろんある。納得できることもある。根本的に料理なんてよほど変な味付けをしなければ美味しいわけだ。一定の味の信頼がおける外食は、味の幅不安定な母の料理よりも安心して食べることが出来た。焼肉屋の話じゃないじゃんね。母は食べ放題の焼き肉が好きだ。特に海鮮系が好きなようだ。エビ、カニ、ホタテ。海鮮系の食べ放題にいったほうが良いんじゃないだろうか?僕も寿司好きだ。


駄菓子屋

おもちゃ箱A君の家の近くには、寂れた駄菓子屋があった。年をとった気の強いおばちゃんが経営していた。気の強さは万引対策だったのかな?と今は思ったり。
A君のママから500円を受け取る。A君からおごってもらうことも多かった。小学生の頃には、お小遣いなんてものをもらってなかった。その硬貨を握りしめて駄菓子屋に行く。駄菓子屋に子供がいっぱいいるわけじゃないけど、僕たちだけは結構通っていた。遠足のお菓子もよくそこで買っていたよ。おばちゃん200円で買うからおまけして!というと、200円より少しお菓子の量が増えるわけだ。


最もよく食べたお菓子はなんだっけ。タラタラしてんじゃねーよ、長方形のイカのすり身棒、ペペロンチーノだったかな。イカばっかりじゃね―か。焼き肉さんとか、安いお菓子なんて全部イカか魚のすり身だから仕方ないだろ。イカを崇めろ。イカのおかげで小学生は焼き肉の味を楽しめるんだぞ。イカじゃないけど、ペペロンチーノはごちそうだった。ペペロンチーノとは、60円で買えたカップラーメンのことだ。


僕的には、ブタメンよりもペペロンチーノのほうが味的にも満足感が強かった。お湯を残すか抜くかでラーメンかパスタと選択できるのも良かった。美味しいスープを飲みたかったから、ラーメン一択だ。駄菓子屋にはお湯があってその場で食べることができた。ペペロンチーノうまい。コンソメに唐辛子、にんにく、塩。そんな味。まずいわけ無いだろ?


駄菓子屋のおばちゃんは子供の扱いにやっぱ慣れていて、お菓子を買うとおまけをしてくれた。おまけ。いい響きだよね。何かを自分で選べるわけだ。10円とか20円とかその程度の商品だけど、それでも+αは嬉しい響きだ。いまでもやってるだろうか?15年も前のことだから流石にもうやっていないかも知れない。


500円

駄菓子屋のお菓子屋にいくときにA君は家にあるKさんの500円玉ビール缶型貯金箱をばっこりと開けて500円をかっさらっていく。Kさんにはぶっちゃけばれてたろうな。正直に話すと僕も500円をそこからちょろまかしたことがある。盗人だねー。ごめんなさい。


ラジコン

A君は良くラジコンで遊んでいたな。彼は車が好きだった。I君というPCがとても得意な友人がいる。I君もよく一緒に遊んでいた。I君も車が好きで、A君とは車のショーだったり展示会だったりによく一緒に言っていたようだ。僕は車にはあまり興味がなかった。

 

ママ、パパ、あなた

親をなんと読んでいただろうか?かつてはママ、パパと呼んでいた。今は、あなた、と呼ぶ。色っぽさや艶っぽさはないよ?Youのあなただ。君、とは呼ばないな。きみ、を使うのは自分より遥かに年下の子供達には使うかも知れない。自分の一人称は、ぼく、おれ、わたし。口語だとぼくがしっくりくるな。おれは使ったり使わなかったり。気分による。我は使ったことない。

 

巨人のM君が突然一人称を、我にしたことがあったな。漫画の影響を受けていたんでしょうね。いや自分も覚えてるなかで語尾を変えることよくあったわ。漫画D.Gray-manのキャラクターに、語尾に"~さぁ"とつける男の子がいた。名前なんだっけ?眼帯をしていた気がする。例えば「いちごのショートケーキ美味しかったさー」って感じ。良い!いただき!と思って、そのまま現実で暫く試したことがある。いつのまにか辞めてた。めんどくさかったんじゃね?別に女の子にもてるわけじゃなかったしな。語尾は所詮キャラ付けよ。圧倒的個性の前に語尾など無力。影響力は突然に、だ。


ママ、パパと呼んでいたのは、そう呼べと幼い頃に言われていたからだろう。ママだよ。パパだよ。幼い子供はそれを呼び名と定義する。だから小学生のしばらくするまで家族の名前すら知らなかったよね。年齢ももちろん知らない。高校生くらいまで下手すれば知らなかったかも。家族それぞれが腹をわって話し合うこともないから、みんな秘密主義。何を考えているかも良くわからない。どんな過去かも知らない。不思議ですよね。


姉もママやパパと読んでいたが、中学生あたりでやめた。お父さん、お母さんと呼んでいた。俺は高校生くらいまではママ・パパと言っていたんじゃないかな。いつのまにかあなたになった。父を呼ぶ時も、母を呼ぶ時もあなた。感情が怒りになるとお前になる。お前って呼ぶと、彼らの怒りも呼び水になるからあまり使わない。お前って言われるのもあんま好きじゃないしね。だから、あなた。母親には、あなた、と呼ぶことを時々おかしいと言われる。あ、そう。そうやって流す。だれかに意見を押し付けられることや否定って苦手だ。自分ではついつい否定から入ってしまう。環境に影響されてるなー。

 

人と変わる部分は意識的な訓練が必要なんだと思う。人に訓練させるのは難しい。自分を訓練して変わるほうが楽なのは自明の理なのだ。いくらおかしいと思われても両親へは、あなた、以外の呼び方をしなくなった。お父さん、お母さんと呼びたくないのだ。なぜだろね。無意識じゃないんだ。意識的にあなたと呼ぶ。消去法かも知れない。父、母への理想が先行しすぎて父母を使いたくないだけか?現実逃避か?


お小遣いと紙の文字

小学生の高学年にもなるとお小遣いがほしいなと思うようになる。両親に相談してみると毎月500円もらえることになった。0よりマシだ。喜ばしい。初めの数回は直接もらうことができた。2回程度か?やがて父はこういった。紙にかいてお前のお小遣いを管理してやると。素直で純粋な子供はそれを受け入れた。お小遣いはもらえなくなった。意味わからないよね。上げる気がなくなったなら、なんで嘘をつくんだろうって思う。不満を持ってるからね。仮に俺が父親の心境を代弁するなら、なんで俺の得にもならない金を人に恵んでやらなきゃならないんだ?といったところだろうか。

 

父は律儀に毎月毎月紙に500円を記帳していった。おぉ、溜まってるじゃん。お金を頂戴というと、父はこういった。「何に使うんだ?」と。それって大事なことなの?俺がもらったお金を何に使おうか納得させないと自分のお金を引き出せないの?意味がわからなかった。父を納得させないと、お金を自由に使えることが出来なかった。ゲームや本を買おうにも、彼らを納得させないと自分のお金を引き出すことすらできない。お小遣いなんて見掛け倒しだった。

 

俺も嘘をつくようになった。嘘をつくことで利益を得られると理解したからだ。表面上は、本を買うんだと言う。漫画を買うとは言わなかった。小説を買うと言った。あるいはご飯を食べるという。決まって両親は領収書を渡せと言ってきた。適当に領収書を拾うことにした。あるいは忘れた伝える。自分が嘘ついたものに使ってるわけじゃない。領収書なんてあるはずがない。領収書をこすり合わせ肝心の日時や日付を消すことも会った。涙ぐましい嘘と苦労で、自らのお金を引き出していったのだ。食費として渡されたお金を使わずにポケットに残すことでお金を少しずつ集めたりした。それでもほとんどは手帳の中の文字として消えていった。いつしか僕は諦めたのだ。彼らはお金を渡す気持ちなんてこれっぽちもない。"嘘つき"だとはっきり理解した。

 

親への不信感はこうやって溜まった。自分が何かを所有するという経験。自らで何かを買うという経験はほんとうに珍しいものだった。でも、僕はゲームやカードを買うことができた。A君のお母さんが、お金を渡してくれることがあったからだ。1000円どころじゃない、5000円とか、10000円とか。毎日くれるわけじゃない。それでも彼女はお金をくれた。考えてみれば、ありえない。でもありえないことが、身近にあった。不思議だよね。ありがとうございます。与えられることは当然じゃない。幸運だとそのときは気づかなかった。

 

自分のお金

今でもお金に大して現実的な思考を持てていない。生活費を親に依存している。電気代も水道代も自ら苦労していない。わがままな妄想家みたいなやつだ。
くたびれるほどお金に大して理解を持っていないのだ。楽な方向へ楽な方向へと逃げて逃げている。働く、か。長続きしない。うーん、午前に起きられないんだ。12時に寝ても起きるのが昼の1時を過ぎる。12時間以上寝て起きられない。
朝に叩き起こされるのがとんでもない苦痛なのだ。どうにかしようにも、戻ってしまう。悪習慣に慣れてしまったのか、夜寝るのが遅いのか。