回想録 小学生編6

 

 はじめに

 不幸自慢をしたいわけではないう。過去の憎しみを種火に、復讐の業火を継ぎ火してもいない。ただの確認であって、強いて言うなら文字を書く練習でもある。人は習慣によって形成されるらしい。自らの為す行動が、信念になるとのころだ。過去の思い出は、題材としてたまたま都合が良かった。

 

Cromeのブラウザでwriteordieというサイトを使っている。自分が書いてる時間と文字数を計測してリアルタイムに見ることができる。素敵なサイトだ。使い勝手が、よかった。しかしどうもあまり信用できなくなってしまった。メモ帳を使うことにした。


書いた内容が、当然暗転して消えてしまうことがある。PCのメモリの問題か。無料版だからか?無料版だからと消されては溜まったもんじゃない。シリアルキラーか?
オンライン系統ならクラウドに下書きが保存されるアプリを使うべきだね。
書いた内容を思い出しながら書くと、わりとダメな仕上がりになる。仕方ないな…。全く新しく1から書き直すか。

 

本題


9.11

2001年。アメリカの貿易センタービルに、アルカイダのテロリストが乗っ取た旅客機が突っ込んだ。俺は家にいて、居間のテレビでぶつかるその瞬間を間近に見た。
テレビは生中継だった。テロリストが何かを要求しているとアナウンサーが伝えている。あぁそうだ。確かアルカイダの首長がアメリカに捕まっていた。テロリストは、首長の解放を要求していた。

 

アメリカのポリシーはテロには絶対屈さない。そう言ったのはだれだっけ。
少なくとも当時の大統領ジョージ・W・ブッシュは要求をのまない決断をしたようだ。結果として歴史に1つの事件は誕生した。
アルカイダ支配下にある旅客機は、貿易センタービルに突っ込んだ。テレビの中では、黒い煙がもくもくと立ち上がり。ビルが徐々に倒壊していく様子をまじまじと見ていた。調べると、テロリスト4人と旅客機の客44人は全員、逝ってしまったようだ。


本当に生中継だったろうか?幾度も幾度もニュースで映像が流れるうちに改竄が起こっているかも知れない。もっとも改竄は回想録全体にわたって発生しているだろうな。


ニューヨークに私は行ったことがある。後々話すことになるかも知れない。大人時代だから、今の小学生時代の遥かにあとの話だ。上手くいけば、話すことになる。


ニューヨークのグラウンドゼロも見に行った。グラウンドゼロとは爆心地、つまり貿易センタービルの跡地だ。地面は大きな長方形型に切り取られていた。石段のような柵で囲まれている。切り取られた穴に向かって、水が流れていたかも知れない。石段は墓碑だった。9.11で死んだ人間の名前が刻まれている。

 

私は悲惨な事件であると知りつつも、共感し体験できたわけではない。凄惨さや凄まじさを追想することもなかった。ドライな人間だと言えばそこまでだが、どうにも現実味をおびない。教科書で習う、核を落とされた長崎広島の人々の痛みを追想できないように。


文字や写真で表現されるような、足が負傷しひしゃげた登山家を想起したことがある。彼の片足は滑落の襲撃で、短くなっている。スネがひしゃげ、大腿骨にぶつかるようにひどく折れ曲がっている。片足は壊れた。動けない。体のあちこちも壊れている。動こうとすると稲妻の如き鋭い痛みが体中を走り回る。

 

つい想像してしまう。まるで自らが体験したかのような痛みを感じる。前頭葉がぐつぐつ違和感をはじめる。頭の天辺にも血液が集まっているかのようだ。胸に動悸がはしり、不安になる。我が身に起こったわけではないのに。痛みなど感じていないのに。


時として、物語は僕に強い痛みや不安を体感させる。まるで当事者のような気分だ。強いストレスがかかる。苦しいへの共感と呼んでいる。自分にも、今にも起きるかも知れないと思ってしまえる描写なら、文字や絵や写真問わずどんなものでもどんなときでも起こる。共感性羞恥とも言われる現象らしい。羞恥より痛みだが。


9.11には苦しみへの共感をもたなかった。人ではなく、出来事だからかも知れない。無数の見知らぬ人間が死んだろう。9.11とは個の悲劇ではなく、群への悲劇だ。
出来事をまるで現実の事実だと認識しても、幻想であるかのように感じた。動悸も痛みも、いたましさも感じなかった。フィクションであるかのようだ。自分事ではなかった。


オウム真理教

覚えてない。ニュースで連日放送されて、麻原彰晃の顔写真を覚えているくらいだ。おとなになってから、事件を全容を調べて改めて知った。

 

騒音おばさん

「ひっこし!ひっこし!さっさとひっこし!しばくぞ!」
カラーを巻いた大阪のおばあちゃんみたいな人だっけ。布団を布団叩きでたたき、隣人に威嚇している映像がニュースで報道された。学校ではただ、おもしろネタにして笑っていた。2chではフラッシュアニメも作られ、当時かなり話題になっていた。

 

都市伝説も在る。騒音おばさんは実は被害者かも知れないという噂だ。被害者は実は、宗教団体に所属しており、最初に嫌がらせをしたのは被害者だった。そう書かれていた。気になるわけでもないが、現実は混沌としている。どちらが真実かも私が分かることではない。


姉とテニスの王子様

テレビで一つ思い出したことがある。テニスの王子様のアニメだ。午後7時だったはず。学校で流行っているのか、姉はテニスの王子様のアニメを楽しみにしていた。
父が帰ってきた。父はチャンネルを変えた。姉はひどく動揺し、懇願した。要求は通らなかった。ありふれた日常だった。そんなものだ。


陸上部

小学後の4年にもなると、部活に参加することができる。ある意味高学年の特権である。小学校1年生から3年生は授業が終わり次第、すぐさま家に変えるように指導されていた。授業が終わったあとも部活をするために学校に残れる。部活はそのための場所だった。陸上部とバスケ部、歌唱部と吹奏楽部があった。吹奏楽部は、なかったかもしれない。

 

姉は歌唱部に参加していた。ピアノの教室にはまだ通っている時期だろう。彼女は音楽の初心者ではなかったからね。ゆえの歌唱部。
私が4年生になると、姉はすでに中学1年生であり卒業していた。姉の影響もなく、私は陸上部に入った。なんでだっけね?友人と一緒に入ったのだろうかね。肝心のその誰かを思い出せないから、1人で決めた可能性もある。運動はすきだった。体育の時間か、給食の時間が学校の価値だった。


部活は義務ではなかった、帰宅部でありたかったら自由に帰ってよかった。ゆるい繋がりの場。陸上部ではどんな活動をしたっけか。直線のレーンを使って、腿上げ、ウサギ跳び、ジャンプなどのウォームアップ。50m走る。そんなもんだったと思う。公立の小学校だし、大会などもなかった。


練習の終わりには、リレー競争があった。これは楽しみだった。高学年がグループ分けをして、チームごとに競いあう。私は速く走れるわけではなかったが、走ることはすきだった。
私の運動センスが開花するのは中学校2年生以降だ。身長が170cmを超え、運動全盛期がやってくる。


ディズニーランド

ディズニーランドに行ったことはある?僕はある。自慢することではないな。初めて行ったときは、家族4人全員で一緒に行った。幼稚園にも満たない、幼いときか小学校のほんの低学年のときだろう。ほとんど記憶はない。ミッキーやミニーとの写真が残っている。シンデレラ城の中にはいったこともあるらしい。いやー、覚えてないねー。


どのアトラクションをのるにも、身長制限に引っかかっては親と一緒だった。身長は117cmあるかないか。119cmだったか?もっと小さい時もあった気がする。身長制限に満たない時代に最低2回は連れて行ってもらってそうだ。ダンボやら、ジャングルクルーズ程度しか乗れない。ビッグサンダーマウンテンや、スプラッシュマウンテンは強敵だった。ビッグサンダーマウンテンに乗れたとのいつのことだか。


小学校では高学年に友人たちと行くこともあれば、母と姉と行くときもあった。中学校の卒業あたりで友人たちとも行ったね。高校生でも一度行ったはず。
家族と、特に母と行くことが多かった気がする。母と行くと、夕食に決まって食べるごちそうがあった。チキンだ。


ホーンテッドマンションを抜けスプラッシュマウンテンの脇?ジャングルクルーズの側?ディズニーランドのマップが全く頭に浮かばない。ディズニーの全体地図の右上あたり、だっけ?鬱蒼としたジャングルにあるウッドハウスがチキン売り場だ。ディズニーランド版ケンタッキー。


胡椒と脂でどしんとくる味。テッシュでつかもうものなら、すぐにあぶれに侵食される。手で持つのとあまり変わらない。手で持てば、胡椒と肉汁が指にながれる。
噛み付くと、パリパリの皮は塩っ気とスパイスに驚き、中の白い肉はなんとも柔らかい。味つけされた皮と白身を上手く噛み回し、ちょうどいい塩梅に食べる。肉が吸いとった油がまるで肉汁のようだ。揚げ物のさだめとして、冷めたらまずい。パサパサで、ただかたいしょぱいの塊になってしまう。油もひどい。だから、口を火傷するのを恐れずむしゃぶりつく。無心に口に詰める。時には、うっすら色づいた指をなめとる。水で脂を流す。終わるまで無言で集中する。うーん、食べたくなってきた。


このチキンを食べるたびに母はこういった。「油ものを食べる時に水を飲むとお腹を下すよ」と。デマだと思う。経験的に下したことは一度もないから。少なくともディズニーランドで下痢した記憶はない。おしっこがしたくてたまらないときはあったけど。
母は、そういった根拠のない都市伝説をよく語った。その割に根拠を考えないから、平気で矛盾した行為をする。度し難いなぁと思う。

 


ホーンテッドマンションでIスクリーム

ホーンテッドマンションは演出がうまいよね。ホーンテッドマンションの建物の中に入るまでに雰囲気が作られている。アーチをくぐれば、古びた西洋の館。花壇は古びている。暗い雰囲気だ。噴水や柵もひどく重々しく、がっちりとしている。鎖は随分重々しく、頑丈そうだ。まるで映画の中の一場面。水の中にコインがぶちこまれてるのは、中国人のせいか?建物中に入ると蜘蛛の巣が張り巡らされている。狭い個室に案内される。肖像画が喋りだす。ホラーもおばけも苦手な少年の心は砕ける。


実際にアトラクションにのってしまえば、途中で逃げることはできないわけだから行くとこまで行くきゃない。まぁ、途中下車できるんだけどね?何人も下車されたら、スタッフとしては手間だろう。怖がりでビビリな奴らをふるい落とすのに、全体の雰囲気は役立っている。人件費削減ですよ。


思い込みがひどい人や、物語に上手く気分をあわせられる人。彼らが始めてであるならば、うまくアトラクションの楽しむ演出にもなる。ひとさじのスパイスだ。私と言えばいざ!と覚悟決めるまでもなく泣き出した。アトラクションに乗る手前で私叫び声をあげ逃亡。後続の人への良い演出だろう?さらばホーンテッドマンション。初めてのれたのは小学4年か5年か。蓋を開ければ、大したことなかったな。ビビらせやがって。しかし、ホラーゲームはいまでもNG。ご遠慮いたします。


怖さや不安にとらわれ、試す前に逃げてしまう性質。神経質と、呼ぶのだが。神経質な性質は、時が流れた今でも私の中に潜んでいる。親友みたいなもんだね。

 

ティガーのジェットコースター

子供は身長が足りないがゆえに、強い傾斜を落ちたり、スピードの速いアトラクションが危険である。身長制限があり、のせてもらうことはできない。すっぽぬけたら大惨事だぜ。


だが安心してほしい。世界一気配りができて、子供も楽しめる場所。それがディズニーランドのコンセプト。子供用のジェットコースターももちろん存在する。身長制限もない。おもてなしですよ、お客様。


ティガーの家がテーマになっているジェットコースターがディズニーランドにはある。全体地図で左の、下あたり?適当いってます。
その日は、おもちゃ箱ことA君とA君の母親。僕と僕の母で行ったのだっけ。永遠とティガーのジェットコースターに載っていた。時間はもう夕暮れ。そろそろ帰る直前だった。


そんな時間になると人気はない。乗る人が1人もいなかった。乗り放題。なんどでも。貸切状態。最高。

 

30回は最低繰り返したはずだ。というか回数を重ねることに時代にたぶん快感を見出していた。無限に終わることないメリーゴーランドがそこにはあった。ほっておかれたら、多分死ぬまでのってたんじゃないかな。無限ループってこわい。
あの時の狂気的な熱狂はそう思わせる強さがあった。何度目かの最後の1回をぶっちぎり、とうとう終わりはやってきた。ディズニーの区切りの音楽だ。さらばティガー。またくるよ。
ディズニー・シーにはマーメイドのジェットコースターがある。そのジェットコースターでも似たような体験をした記憶がある。そのときは中学生だっけな…。


プーさんのハニーハント、いやバズライトイヤー

おそらくこれが最後のディズニーエピソードになる、予定だ。思いついた最後のストーリーである。中学生編だと、またいくつかあった気がする。


ディズニーに新しいアトラクションができた。プーさんのハニーハントバズライトイヤー。どっちが先かは覚えていない。
母と姉と僕でディズニーランドにいった。舞浜行きではなく、逆向きに乗ってしまって焦った母と姉。はなくそほじるぼく。なんとか無事についた。

 

プーさんのハニーハントに向かってみると、8時間待ち。おそろしいな日本。これに並ぶって狂気だよ。並んでるやつが多すぎる。
姉のプーさんはだめだ。ハンターが多すぎる。ハチミツの生産量もヤバい。ではいざバズライトイヤー。12時間待ち。ここらへんで幼い僕には日本の偏執さに気づいてほしかった。やべー、なげーって感想で終わった。日本人やべぇよ。いやディズニーファンがやべーのか。


もちろん、並べるはずもないから別のアトラクションに行くしかない。ぶらぶらとそこそこ空いてるような、あまり空いてないようなアトラクションに乗る。ジェットコースターには乗れる身長だったはず?違う、かも。


夕方になって、もう一度確認してみようとなった。プーさんのハニーハントを見に行くも6時間待ち。姉は現実の辛さを知った。バズライトイヤーは4時間。
もう時間間隔がバグっていた。よっしゃ並んでみるかと並び始めた。しかし少年の4時間は大人の4ヶ月。辛抱強くない活発な少年は、列のあまりののろさに嫌気が差してしまった。

 

じゃあ、どうしたか。彼は行列をショートカットすることにした。行列は蛇腹状になっていた。ロープを1つくぐればかなりの人数をショートカットできる。
え、それって横入りじゃないの?Exactly。大正解です。彼は善悪を知らなかった。欲望に忠実だった。両親の顔が見てみたいよ。チンパンジーじゃないはずだ。


姉と母がそばにいたはずだが、止める間もなく少年はロープをくぐってしまった。彼らはどう思ってたろうね?ものすっごい大迷惑をかけている、恥ずかしい!と思ったろうか?それとも、しめしめ馬鹿な少年のおかげで不可抗力に時間を短縮してアトラクションに乗れそうだぜ、とでも思ったろうか。


事実として、私は咎められることなくとんでもない人数をカット。大幅に時間を削減!エコ!そんなわけでアトラクションにのった。無事のれた。
スタッフにつまみ出されて、出禁をくらうこともなく。他の来場者の皆さまからクレームがとんで、ブーイングと列から追い出されることもなかった。あるいは、そんなクレームに気づかなかっただけかも知れない。悪気がないってすごい。


肝心のアトラクションの中身は大して覚えてないな。トイストーリーのバズが持っているおもちゃの銃を渡されて、的に向かって引き金をひく。当たっていれば点数が入り、最終的にどれだけ点数を獲得できたか楽しむアトラクションだ。


終わったら終わったで、すっごい楽しかった!と言っていたろう。個人的には、列をショートカットする全能感に脳みそをやられていたから、アトラクションはおまけだったような気もする。


帰るときに、バズライトイヤーのメモ帳を買ってもらってご満悦であった。いまでもそのメモ残ってるんだよね。紙がないときは使ったりする。

 

 

ではまた、明日。