回想録1 自己紹介と幼少期

はじめまして

はじめまして。はじめまして以外のかたはこんにちは。最もそんな人は本当に限られているでしょうけど
語り部かつ、この回想録の当事者。Jです。日本人なのでこんな名前じゃないですけど。とある知人のデブがこう呼ぶので使わせてもらいましょう。敬語は使えないので、以後は適当な口語ではなします。

 

あなたはどんな人物でしょうか?私は何も考えず思ったことをここに書き綴ってるだけです。突然支離滅裂な跳躍が起こっても無視してください。
もし仮に読む人がいようといまいと。この序文は残ります。その上で、こんなどこぞの馬の骨とも知れない。見たことも聞いたこともない人間。偶然ですよね。感謝をします。あなたの興味に。

 

あなたがどういう経緯をもって、この文章に辿り着いたか気になりますが。
それは永遠の謎としてまずは私の自己紹介をさせてください。このはなしの本質かもしれません。ななめ読み程度にでも読み流していただいてもお任せします。言われずともですよね。

 

私はだれだ。自己紹介

私は肉体的な時間でそろそろ25年目を迎えます。誕生日が3月30日。今日の日付は2019年の12月19日です。次の区切りまで3ヶ月と少し足らずといえます。
最も、精神的にはとてもじゃないが未熟で誇れるような何かを成し遂げたわけではありません。いまの私は、この回想録がどんなタイトルになるか知りませんし、タイトルがつくかも不明です。
一言で今の私を示すなら、社会的に落伍している人間、でしょうね。

 

思いつくままに自らを振り返ってみますか。

私は大学を卒業していません。学業はあまり得意ではありませんでした。体育は好きでした。留学をしましたが、一年程度で中退をしています。
私は断続的に約4年ほど家にひきこもる生活をしています。これだけでいわゆるNot educated, Employment and Training。いわゆるニートの最低条件をクリア。
現在時点で収入はありません。貯金もないよりはまし程度。10万もないと思います。
父と母と実家に住んでいます。寝る場所があり、PCを使うことができます。食事は冷蔵庫のものを食べたり、自分で何かを買ったりして食欲を満たしています。電気代も水道代も全て父に依存しています。


つまり、私は今生きることは生きている状態。自分で何かを為したり、獲得したりといった行動をまったくとっていません。
人間のクズ、社会のチリ。形容詞や接頭語としては、そこらでしょうか。社会的に価値を持っていないニートのJとでも思っておいてください。

 

性格

私の性格にも言及しておきましょう。自分のとらわれているもの。そう言いかえられます

私は、何事も時間の無駄とみなしがちです。

私は、何かをはじめることにひどく億劫に感じることがあります。

私は、不安と恐怖、こうでなければならない、そういった完全主義的な側面をもちます。それは時に人に押し付けることがあり、人が思い通りに動かそうとするときがあります。

私は、他人に嫉妬をします。他人のものを欲しがるのです。私がそれを求めているか関係なく、他人が持っているものを私も持っていたい。そんな観念が無意識にあります。他人のもので何か足りない自分を補なえるという思いが無意識にあります。

私は、自分で何かを決めることが苦手です。自分自身が何かを断定的に、好き嫌いを決めたとしても。その立場に大して、曖昧さを保とうとします。

私は、否定をします。素直に受け入れることもありますが。否定されることはめんどくさいなぁ、と思います。最も話し合いになり理由を聞けるなら、それは素晴らしいことです。話し合いにすらならず、相手への罵倒に終始することはまったくもって辟易します。

私は、結論を求めつつ、自ら結論を出し難い性質があります。かりに表が正しいとしても、もしかしたら裏にも何か正当性があるかもしれない。どちらだろう。どちらでもいいのかもしれない。わからない。そういって結論をうやむやにします。自らの決断を人に委ねたいだけかもしれません。おかげでひどく頭でっかちです。石橋を叩いて渡らない。

私は、頭の中で自分の変だと思っていても、無理だ、変えられない。そう諦めることがあります。自らのより建設的な欲望に対してすらも、必ず存在する少しの障害に心をくじいていてしまうのです。準備に完璧を求め、始まりは誰しもが無知で無能であることを直視せず。ただ無能に絶望する心の弱さがあります。自然に反する思考をします。

私は、自分自身を卑下します。私は、何者になれない。なぜなら私は無力だからだと、思い込みたがっているのかも知れません。

私は、楽をしたがります。全ての苦難と苦しみ、不安もなにもない。ただ完全無欠で、全知全能な存在に突然なれたら。こんな願望がどこかに埋まっているのです。

 

要は人間のあらゆる弱さを内包している男ってことです。そして、とらわれてがんじがらめになっていると錯覚している。長いですね。

 

 

独白と欲望

ほんと長いですね。自分の性質なんて、時と状況によって絶えず変わります。たまたま、今自分の中に思った表層をすくい上げてみましたが、いささか自分でも傷つきますね。
いつだって、自分の中に足りない何かを、外部から補強しようとしまう。成し遂げた人物の過去を、成功したと言われる人の過程が気になって仕方がない。
それは、自分も彼らのように振る舞えが、いつか彼らのようになれるのだろう。そんな考えがあるからでしょう。
実際になれるかは、わかりません。自分以外は全て他人である。どこにも自分とまったく同じ考え、同じ思考、同じ行動をする人間はいない。
結局は、縋りたいのでしょう。救いを求めているのでしょう。自分の自我の末路が今の自分であるのなら、他人の自我ならばその道は変わるはずだと。


私には欲あります。それもつよい欲が。そして欲が簡単には叶わないことを知り、投げやりになっている。堪え性がないため、賽の河原で石を積むことはできないと思います。
女性のSEXがしたい。お金持ちになりたい。死にたくない。偉大な人物として認められたい。実に本能に忠実な動物です。


ダメになったから無力感を感じるのではなく、無力感が人をダメにするのだ。こんな言葉で正しいとわかったことを、行動にうつせたら。
自分で間違っていると思っていることをいますぐ辞められたら、それはどんなに素晴らしいことでしょう。
三者の意見に立てば、まるで全能者であるように助言をできます。状況を俯瞰し、要素を洗い出し、そして問題を解決へと導けると錯覚します。言葉とは、かくも簡単に行動を促せるのです。促すだけなら誰にでもできるってことです。だから神の言葉も人間の言葉も大して変わらない。
いざ、自分のこととなると、観念と思考にとらわれていることに気づきます。臆病で、怠惰で、諦念をもつ鈍い亀のような自分に出会うのです。亀に怒られそうですね。


欲望があり、行動がともなわない存在。弱さにとらわれている男。時間をむだにしたくないと完全な計画と準備を求めた結果、時間をむだにしから回る個体。
私がどんな人物なのか。それは語り部ある私じゃ前述のとおり曖昧な結論しか出せません。出た結論も大して意味があるかもわかりません。
しかし、おそらく私のことが分かるのも私しかいないのでしょう。
他人なんて知ったことじゃありません。とりあえず今日の自分が、頭の中でおもったことを、ひとます行動に移そうと思っただけです。それが薬のおかげだとしても。私は今日も社会に生かされています。

 

回想録の手前

回想録なんてものは、たいていの場合。ねじまがり、おぼろげで、奇妙で、偏見的でしょう。
私は今の性格を通してしか、過去の事実を描写できません。ゆえに私の過去はひどく歪んでいることを最初に留意してください。
悪い記憶、良い記憶。人にとっては、悪い記憶のほうが残りやすいと科学的に証明されています。
ゆえにこの回想録は、一面としてただの嫌な出来事の博物館かもしれません。毒の沼かもしれません。間違っても楽園ではないでしょう。
気分を害した場合は、すみやかに別の読み物をオススメします。この世は人間にあふれている。そして本にも知識にも、探せば自分の知らないことなんてそこら中にある。
私に言われずとも、気づいているでしょうけどね。それに他人なんて自らの人生とは関係があるが、無関係でもあると。私に限るなら、あなたの生命にほとんど無関係ですから。

しかし、姉と父と母にはひどい風評被害がいくに違いありません。先に謝っておきます。申し訳ない。私は社会と彼らに生かされているのに、感謝もしない。


最近のニュースを見ると、行為者の葛藤と鬱屈さが、まるで我が身のように感じます。誰もが、苦しんでいる。その怒りが外に出てきてしまった。排除されてしまった。

 

 

回想録1 幼少期

誕生。
私は1995年3月30日。中国人の母と、日本人の父親の間に生まれました。
生まれたときの記憶はありません。前世の記憶もありません。体重は3666gの赤子。性別は男です。
年齢が3歳年上の姉が一人います。家族構成はそれで全てです。そして、昔から今も殆ど変わらない私の狭い狭い人間関係の大部分はこれだけでほとんど説明できてしまいます。


団地。
回想録なんてものは書いたことがないため、時として光景であり、時として想像した感情であることは許してください。
私は幼い頃。幼稚園にも行かないほどのころ、団地に住んでいました。高い階だったと思います。
団地の下りると、赤い小さな木の実がたくさんなった木が等間隔に並んでいました。
団地の頃の記憶もほとんどありません。緑色の絨毯が家には敷いてあったはずです。

 

おねしょとうんこ
姉の尊厳を踏みにじります。20年以上も前のことですから時効でしょう。私の記憶を思い出すためのきっかけになってもらいます。
ある朝起きると、姉がうんことおしっこを同時に漏らしていた日がありました。大笑いをした記憶があります。姉は泣いていました。
私もおねしょやうんこをもらすくらいしててもまったくおかしくないはずですけど。この頃は朧げです。

 

ピアノ教室
姉は近くのピアノ教室に通っていました。振り返ってみれば、姉が主体性を発揮したと言うよりも母が通わせたのでしょう。母は教育熱心でした。これは褒め言葉ではありません。だって姉は泣いてましたから。最も世界的ピアニストも練習に苦悩し泣いたことがあるかもしれません。人の自然を知るには私の狭い世界では狭すぎます。
私が5歳にもみたず、3歳程度?であった頃と思います。幼い私を伴って、母はピアノ教室に姉を連れて行っていました。母はその時代に、働いてなかったと思います。
姉がピアノのレッスンをしている間、私はひどく暇でした。ピアノの教室には、クローゼットがありました。クローゼットを開くと、服の代わりに本棚があるのです。
世界不思議紀行録?そんな名前の漫画を読んでいた記憶があります。ピラミッドや、ナスカの地底絵。死の湖、死海カスピ海、世界で最も大きなハスの葉っぱ。エベレスト山は海が盛り上がってできているから貝がある、とかね。様々なはなしがのっていたはずです。主人公の少年はどこかおっちょこちょいで、世界中のどこにでもひとっとびな乗り物を使って大陸を渡るのです。偉人を解説する漫画もあったか?
他にはドラえもんが世界を案内する漫画もあったはずです。他にも絵本。思い出してみれば、私にとって本は幼少の頃から身近なものだったのか。絵と文字と組み合わせが好きだったのかも知れません。

 

金柑
ピアノ先生のエピソードはもう一つあります。ピアノ先生はメガネを掛けたマダム?そんなイメージが残っています。彼女は庭に金柑を植えていました。ジャムにすると美味しいらしいです。
幼い私は、庭にたんと実った金柑を穴をほって全部埋めた記憶があります。とんでもなく怒られたような気も、母がひどく謝っていた気もします。ピアノ先生はがっかりしていたでしょう。

 

線路
姉は水泳にも一時期通っていたはずです。彼女通っていた水泳場の近くには線路がありました。踏切台があり、当然電車が通るわけです。
父親の車に釣れられて、姉を迎えにいったとある日でしょう。夕方、暗くなりつつある時間帯だったと思います。私は線路に足を入れる遊びしていました。暇ですから。
線路の床のスキマ、電車の車輪が通る場所は狭いところと太いところがあります。ある部分は返しが付いてる部分があったきがします。
故意か偶然か、私は足を線路の返しがついた狭い部分に取られてしまいます。すっかり自分では抜け出せなくなり、泣いてたでしょうか?えぇ、泣いていた気がします。
人は簡単に死にかけるんです。踏切台はカンカンなりだし、電車がくるらしい。本当にそうだったのかはわかりません。もしかしたら脳が今現在改竄してるのかな。
そんなところに、水泳場からたまたま姉が帰ってきました。姉は走って私を抱えて線路からどかしてくれました。無理やり足だけを引き抜いたため、はまっていたかたっぽの靴は線路に残りました。ゴム製の靴だった気がします。
それがどうなったのかは思い出せません。列車が通過したあとに拾ったのか、あるいはそのまま帰ったのか。

 


ピアノ教室と言えば、野生の蛇に出会ったこともあります。父がそばにいて、こいつは毒がない。そういいながら、木でどこかに投げ捨てていました。


母とお向かいの人
幼少期にはあまり記憶にありませんが、母はヒステリックな人でした。彼女は怒り、私はお向いに住んでいる人の家に連れて行かれたことがあります。
なぜそうなったのか、そのあとどうなったのか。まるで思い出せませんが、泣いていた光景が残っています。他愛もない。誰もが怒り、誰もが泣いたことがあるでしょう。


私は今住んでいる家に引っ越すまではこの程度のエピソードでしょうか。
理性も思考も特にない本当に幼い幼い年齢の時代です。

 

さて果たして、現在の自分に至るまで続くのでしょうか。