wikipediaでアキネーターごっこ
目次
1. はじめに
日常は偶然の連続であるから、その人自分によってまったく違うものに出会うことも在る。レア度の高い自分だ。
もちろん昨日とほぼかわらないぐーたら自分はレア度が低い。
2. やぁwikipedia
今日はたまたまそれがwikipediaだった。
wikipediaで最も価値のありそうなページだなぁと適当に思う。
wikipedia:ウィキペディアは何ものではないか。そう題されたページだ。
要はウィキペディアのルールを定義している場所だ。こんなページがあることを今日始めて知った。
知らなくても、ウィキペディアから情報をかすめ取ることに支障はないし、そもそもウィキペディアを編集したこともないからだ。
ウィキペディアのイメージと言えば、日本人に寄付という単語を思い出させる場所。コーヒーをのまない僕に対して、コーヒーを1杯でウィキペディアを維持することができますという場所。
日本人ならお茶か白米だろ。
3. ルールを読むやつは少ないから、知ってる人が得をするらしい
ウィキペディアは各言語ごとに別々のルールがあるらしい。
世界中の人間が1つのコミュニティを運営するのは、言語やら思想やら難しいのだろう。みんなの共通言語Google翻訳もあんま役に立たない。日本語翻訳すると寿司にペンキぬったようなカラフルさがキレイだ。
と思ったら、ぼくは意外と英語のウィキペディアは見ることがある。一年に2回くらい。そんなに多くないかも。歌や、映画、本やブログ、外人はたくさんいる。日本において知名度など無に等しい場合もある。
たまたま知りたい場合、ある程度まとまった情報があるwikipeideaはある意味いいスタート地点になる。格式張って口語的じゃない文章が、俺にはひどく読みにくいのが難点。頭に何も入ってこないこともある。
そんな身近で、意外と遠いwikipediaのルール。ちょっと覗いてみたら、意外と面白かった。というか、タイトルを気に入った。中身は忘れた。これら全部を模範として編集している人間はいないでしょうね。そんな内容。ぼくは複雑なルールを前提として何かを為すことに適してないのだ。言われたことをだれもができたら、苦労しない。
ぼくは憲法だって全文は知らないし、刑法も民法もよく知らない。なんならサッカーと野球のルールもよく知らない。サッカーのルールに手で触ってはいけない意外あるのか?ルールは身近ではない。日常から程遠いのに隕石のように突然襲ってくる。
4. YesNoゲーム
閑話休題。
「ウィキペディアは何ものではないか」。
もし、「私は何ものではないか」なんて自己紹介を見つけた天の邪鬼さんは、誘蛾灯が如く引き寄せられてしまう。悔しい。
たいていの自己紹介は、自分はこれだ。自分はあれだ。自分はそんなものだ。自分を定義することばばかり。自分を定義しているものを紹介する場だから奇をてらうなくていいんですか。
天の邪鬼で、否定的な性格な私にとっては自分じゃないものを否定していくことで、何かを定義することが魅力に思えた。が、欠点も読んでいくうちにすぐ見つかった。自分じゃないものなんて定義しきれない。でかいルールに大して、YesNoゲームを始めるって無茶だ。
YesNoゲーム知ってる?一人じゃ遊べないから、俺には身近な遊びじゃない。一人は何かお題を1つ考える。なんでもいい、りんごとかゴリラとか。もうひとりはお題が何か知るための質問する。お題を考えた人は、質問にYesかNoで答える。
質問者がお題を当てたら価値。お題はりんごだ!ブブー、ゴリラでした―。劣化版アキネーターごっことも言える。質問の数は限りが在る。無限に聞けたら、そらいつかは分かるだろう。自分の陰毛の数とか、自分が知らないことを答えにするのは...飽きられるまで会話できると言える?いや攻守交代したほうがいいと思う。
5. 多数決は時間がかかる。
否定していくことで、残った何かが自分ですと説明する。遠回りだね。自分じゃないものなんて無限にあるわけだから、これだけじゃルールなんて定義しきれない。二重否定は混乱するんだ。
ウィキペディアは集合知。専門家や知識をもった人間の集まるコミュニティ。奴らは抜かりなかった。もちろん、自分を定義するものもしっかり明記している。
ウィキペディア:5本の柱と呼ばれるページが有る。
ここではウィキペディアとは?を明確に説明しているページだ。
ざっくばらんに言えば。ウィキペディアは、百科事典です。中立です。利用はフリー誰でも編集可能です。行動規範があります。これらを4つの原則と、確固としたルールはありませんが最後の1柱。
なーんだ、僕みたいな長過ぎる文章を読まない人向けに、多少短いルールがある。読んでないですけど。
自分が多数派かは知らない。でも、読まないやつがオレ一人なわけはないと思う。そしてこのルールも、多数決で決まったものだ。wikipediaは独裁国家じゃない、はず。独裁国家のwikipediaどうなってんだろう。
結果的にウィキペディアとは、とりあえず何か書く。書いたものが多数決でルールに違えてそうなら、消してロールバックする。だから、とりあえず好き勝手大胆に書いてみろよ、と。
流石にこんないい加減なスタンスではないか?ウィキペディアンが何人いて、多数決が何人かで決まってるのかも知らないしな。多数決が3人以下だから、あんなに荒らしが多いじゃなくて?集合知は正確さを吟味するととにかく時間がかかる。途方も無い。真に正確さを求めたら、出典だって吟味せなあかん。検証もいる。あーあーめんどくさい。
6. 最後に
こう考えたら、信頼あるwikipediaさんは意外と少ないかも。検証されてない、個人の覚書みたいな文章はあるでしょう。あるいは実は酔狂な人間が多くて、日夜多数決戦争をしているのか。
間違ってようと、性格だろうと清濁呑み込むぜ。細部をつつくように、細かい食い違いを指摘するやつのことは知らん。間違ってたらこそっと教えてあげるくらいがいい関係だって。