おばけなんてないさ?

 

1. おばけは自殺願望なのか

1.1


苦手なものがある。少しだけ、ほんの少しだけ現実にいてほしいと願ってるものがある。
おばけだ。おばけというか、怪異全般とよんでもいい。

 

好きなのか?好きじゃない。嫌いというか、怖い。直視できたもんじゃない。
子供頃にディズニーランドのホーンテッドマンションに小学4年生まで乗ることができなかったといえば伝わるだろうか。


ガイコツ、幽霊、日常じゃなかなか目にしないもの。そんな奴らが暗闇を背景に動きだす。もしその場に自分がいると思うと、身震いする。
緊張グラフはストップ高直線ショー。

 

ゾンビ、殺人鬼、外宇宙からの侵略者。こいつらはちょっと違う。いや、怖いよ?でも、明確に人に敵意や害意を持つ産物だ。絶対殺すが顔に書いてある。襲われないゾンビ映画も、フレンドリー殺人鬼も、交流しにきた外宇宙人も。まずクライマックスは手のひら返す。やっぱ殺戮ショー。例外があるとするなら、人類がすでに絶滅している世界か、こち亀のなか。

 

1.2

昔から何でも怖がってきた。小学生の時なら、夕暮れのカラスから口裂け女をOLさんに投影して早足になった。ハイヒールのカツコツって音、特徴的なんだもん。人面犬なんて知りたくなかった。デフォルメしてようと子供図書館に置くんじゃねぇよ。犬すべてが血まみれのおっさんの顔に見えていた。ちょっと笑える。


いまでこそ、夜中のトイレも、ラップ音も、用事を早くすませようと緊張感が芽生える程度。立派な強迫観念持ちの神経質だが、性格だ。
それにもし仮に幽霊や怪異がいるのなら、幻想世界の証明になるよなー、なんてのうてんきに考える余裕がある。

 

1.3

でも、ホラーゲームはダメだ。ゴア表現より苦手かもしれない。比較的にアクションよりのバイオハザード4すら心臓が常にバンバカ言っていた。バイオ4はスーパーマリオライクだったからクリアできたけど。背景を明るくすればなんとかなった。それに銃は最強だ。


VRバイオハザードは心臓麻痺で確実に死ぬ。プレイヤーを怖がらせてやろうって思想は悪意でしょ。スパイ養成のために、拷問に耐える選別実験に違いない。
ゆえにそもそもホラーゲームやろうとすることもあんまりない。チュートリアルの時点で投げてしまう。会いたくなくて震える。始まる前から終わってる。なぜかインストールとアンインストールが同時に起こる。これぞ現代の怪異。

 

1.4

おばけや怪異が、実際に存在していないとする。子供の自分は、自分の頭の恐怖の対象を現実に投影して勝手に怖がってたわけだ。自分で自分をびびらせる。世界で最もエコで安価なお化け屋敷のしくみがここにある。ゆえにぼくはお化け屋敷に行く必要がない。誘わないでくれと言っている。
自らが最も怖いものは、自分の頭の中で生まれるのかもしれない。自分を殺す気だろうか?ぼくは自殺志願者だった?だからといって、他人が生み出した怪物が怖いわけじゃない。最も?この世の地獄を覗いたことはない。覗きたくない。


他人の狂気と言えば、クトゥルフ神話生物。現実のテロとかじゃなくて、創作物語を出すところがナードだ。ここで想像を絶する恐怖描写ができたらホラーで一儲けしてる。クトゥルフなんて虫嫌いな人が、虫を深く観察することで疑似体験ができる。自分の恐怖に負けず劣らずか。

 

でも、なんでこんなに自分は怖がりなんだか不思議に思うもので。
トラウマだろうか。動物は天敵の存在を種としてひきつぐように、親から受け継いだものなの?親が超びびりなの?

 

 

2. 夢の時代のビビリのネズミ

2.1

人間は臆病であるから、発展し、生存し、生きのびた説がある。
人間の祖先はネズミだったそうだ。最も小さな哺乳類。かつて地球に隕石が衝突し、地表の生物のほとんどが死に絶えた。
海の中の生物、そして地上では環境の変化に長けた昆虫や、餌が少なくすんで気温の変化に強いネズミが生き残った。勇敢で好奇心旺盛な冒険家ネズミは、赤くてきれいな隕石を観光しに行って死んだ。
そして臆病でひきこもりなネズミは、あれやべーじゃんと逃げた結果生き残った。確かに祖先は超ビビリね。
もっと祖先の微生物なら、ビビリとはつまり、ビビっ!コノカンジ ヤバい!って知性を持ってたことに違いない。

 

2.2

祖先が危険予知のための臆病さ。環境への適応力。これらを次代へ継承した。
危険で不安定な次代が続いてる間は、臆病さが求められる。臆病さは煮詰まっていき、強化された。天敵が多い時代だったから。


この理屈から言うと、その子孫である人は最高に臆病で、びびりなのか?まったくそうは思えない。youtubeを見れば命知らずに溢れてる。高層ビルが生まれたせいか、あるいは”馬鹿と煙は高いところへ上る”が馬鹿を高所に追い立てたのか。煙は炎上って意味だろう。やがてイカロスのように地に叩きつけられる。”馬鹿と煙は高いところへ上る”の作者は先見の明に富みすぎている。

 

2.3

ひとの技術の発展は、次代への継承要素を変化させていった。
人間は自らを霊長類と呼び始めた。長だ長。かっけー。サルなんかも霊長類やが。
やがて臆病さではなく、勇敢さ、知性、保守性、ほんとに様々な要素が必要とされ受け入れられる時代に人は至った。
すると、その過程において、臆病さはなりを潜めたはずだ。なんたって最強の生物。恐れるものなんてなにもない。


脅威がいなくなった。自らが自らの恐怖を生む時代になった。もしかしたら、増えすぎた人間を間引くために人間の無意識が自殺者を選別しているのかも。負けてらんないよ。


人は外敵がへった。外じゃなく内側に目を向けるようになった。平和な時代と国では特に。
心の内側なんてものは目に見えない。背景色は暗闇。得体のしれない何かが蠢きやがる。セルフお化け屋敷。こわいわー。誰かを招待してあげたい。

こうなるともう、一つの個性として受け止めたほうが気楽かもしれんね。

 

 

3. 問題提起者が問題解決者である必要はない

3.1 

幼い少年時代のぼくよ。申し訳ないな。君の将来はお化け屋敷だ。無力な自分を許してほしい。

そしてここらで、まんじゅうこわい。甘いものが苦手なので。
臆病さの遺伝的要素は薄いなら、怖がりは後天的性質だとも十分考えられる。子供図書館に人面犬口裂け女はやっぱトラウマよ。

 

後天的なら、克服できるかもね。ただ苦手なものを克服するってのは、平均化だ。個性を消すってことになる。ただでさえ少ない個性が消えていいのかい?心の悪魔くんは説得力があるなぁ。


じゃあどうするか、「VRバイオハザード100本ノックだよ。」
心の天使くんは脳筋だなぁ。