15分の時間

 


15分にどれだけ多くのことができるだろうか


12:15分に病院から家に帰ってきた。
父親が入院しているから、郵便受けの奥深くに潜った新聞紙を取り出さないと明日の新聞がホームレスになる。ダイヤル錠式だけどパスワードがシンプルでよかった。開けたのは何年ぶりだろう。
朝ごはんにたべるためにゆで卵がなくなった。新しく茹でることにする。鍋に水を入れて、お湯を沸かす。
ついでに昼ごはんに食べるためにレトルトカレーを沸かしてるお湯に入れる。
ゆで卵の湯で時間を計測するために、2階からキッチンタイマーを持ってくる。
お湯を沸かしている間、フロを洗うために、フロの残り湯を洗濯機にいれる。
目的を忘れることもある。行ったり来たり。フロの水が抜けた。風呂掃除をする。
カピカピに乾燥しつつある白米を炊飯器からお椀に持って、電子レンジで温める。

 

すべて終わって、昼食の席についたのは12:42分だった。びっくりした。そんな時間がかかったのかと。想像では15分もかかってないと思っていた。
時間はとんでもない勢いで過ぎていく。電子レンジの2分やカップラーメンの待ち時間が早く感じる。体感が衰えている。
逆にも考えられる。お湯を沸かす時間。ゆで卵をゆでる14分をあわせた時間で、今日の分の雑事がほとんど終わったと考えれば、悪くないとも。
食事の時間は15分ほど。皿を洗って、後片付けをする。自分の部屋には1時頃戻った。


PCでたまたま見つけた、youtubeにてラジオを編集して流す動画の収益化が難しくなるかも知れないという記事をみた。
関連して、別のyoutubeの収益化について書いてるブログを読み。その作者のtwitterに見始めた。あまり知名度はないようだ。複数のブログと複数のyoutubeチャンネルを持っているようだ。
本当かはわからない。自己啓発書や、どこかから持ってきた情報を自分なりに語っているだけかも知れない。ビジネスのそれっぽい、できる人。私はコレをしています。なんて世の中に溢れている。

 

気づいたら50分以上ほど立っていた。冷や汗がでない。鳥肌も立たない。煙に包まれたようだ。

 

自分で動いていたら、やることをこなして大体27分。人の作ったもの、動いた経歴を辿ったら約1時間。この何か得たようで何も得てないような、得た気分になれる時間にあまりに慣れすぎている自分に驚いた。
本を読んだり、テレビを見たり。その中で情報を知るだろう。その中の何%が自分の実際の行動を左右するだろうか。そもそも、他人がなにかしているから、じゃあ自分もなにかしよう。そんな気分になるだろうか。
学んだのだろうか?そとれも消費したのだろうか。行動に、繋がるだろうか

 


言霊。自らを馬鹿だと貶める。悪い言霊はいずれ実現するから辞めたほうがいい。そうきいたことがある。
じゃあ、お金持ちになりたい。そう言ったら、お金持ちになれるのだろうか?筋肉ムキムキマッチョマンになれるか?ならん。
負の言葉は、実現される。正の言葉は実現しない。結局、言葉とか関係ないじゃん。行動を止める理由にしてしまうかどうかでしょう。
僕の頭が、曇ってることなんてしょっちゅうある。それでも、もやもやした状態で病院に行こうする気概は生まれる。

 

水木しげるは、持って生まれたものより、自分が生きていく中で手に入れたものが大事なのだ。と言う。
自らが考えて、実行して、積み重ねたものが、経験が大事と言いたいのだろうか。

 

多くの人間は馬鹿で柔軟じゃなく、頑固らしい。厚切りジェイソンは、twitterでの悩み相談を辞めたようだ。
人は、自分の悩みが世界で唯一持っていると誤解する。厚切りジェイソンは、同じような質問を受けて、同じような解答をすることに疲れたと言っていた。
悩み相談に答えても、彼らは有名人に反応されることを喜んでいるだけだった。腹がたった。そう続けた。


悩み相談の本まで出したそうだ。実際に本を勝手、悩みが消えた!そう伝えてくる人は100人に1人もいなかったかもしれない。
1人でも助けになったなら、よかったと言っていたが。それ以上に、99%の人間は言葉では行動が変わらない。


アメリカ人が日本人に疑問を呈する芸をしていた厚切りジェイソン。Why japanese people?芸だから、アメリカ人が日本人に物申した。でも、実際は日本だけじゃなくて、世界中に変わらない。楽をして、停滞している人間がいる。
テレビで売れるから、センセーショナルな見出しを作るようなものだった。そう締めた。

 

嫉妬をしても、人にお願いをしても。人から例え一時的にものをもらっても、自分ものではない。そう水木しげるはいいたかったのだろう。
世界は他人ばかり。自分以外全部他人。自分よりすごい人がたくさんいる。
そんな中で、自分なんてと諦めてしまう。変わらないことは楽なことなのだ。事実で、今でも世界中が証明している。


時間も待ってはくれない。辛い。苦しい。何者かになりたかった。
怨嗟の声は言葉なんて、いくらでも吐ける。眺めることもできる。
歴史上には目が聞こえなくて、耳が聞こえなくても、何者かになった人がいたのだろうか。
残りの人生を、捨てたくないな。そう思った。