日課のもじもじzもじ

何者かになりたいなぁ


書くしかない。タイマーが始まってしまった。
何かを始める時に0か100か基準を作ってしまうことが在る。
この世にすでに存在するトップと呼ばれる絶頂層。自分が何もできない、何も持ってない0として、いきなりトップスピードの100を自らに求める性質。小さな問題から解決すればいい、簡単なところから始めればいいと頭では知っているつもりなのに。
癖なのだろうか?おかげで、出来もしない現実と、理想的な神のような自分との差異に苦しむことになっている。
あまりの乖離に今すぐオナニーでもしながら、ふて寝を決め込みたい気分だった。

 

赤子はころぶ


ストーリーは楽しいだけじゃなくて、計画や具体的な流れとも言うことができる。
一部の十分に訓練されたやつらは、頭の中に流れや自分の次に行うべきことが瞬間的に発生して、点と点が線で繋がり。実際に無意識であるかのように手を動かせる。
天才だと、自分とは違うんだ。そう思いたがる自分がいるけど、そうなりたいと思う自分もいる。
慣れだ。慣れは時間がいる。赤子がいきなり歩けずに転ぶように、最初に水に入った瞬間は、何をどうすればいいか分からずに、とりあえず手足をばたばたともがかせるように。
いつでも、何かをよどみなく、自然に、思考しないように、素早く行うには継続的な慣れがいる。慣れとは練習の積み重ねであり、自分が障害を克服したであろう証拠である。
絵を書くにしても、音楽を書くにしても、動画を編集するにしても、最も俺はどれも実際にできないが。いや、初心者のような振る舞いができるが。
頭の中で自分の次にしたいこと、理想的な動きがない人間っていうのは多分そもそも創作に向いてない。いわゆるマニュアル人間だろうか。ルールやチュートリアルがあって、ステップごとに分けられていて、全部が全部それを用意されないと何もできないのはもしかしたら創作に向いてない。かもしれない。適当に言っている。そもそも生み出したいものが、最初にあって絵も音楽も手段に過ぎない気がする。あるいは遊んでいるうちに、何か漠然としたシーンが浮かぶことも在るか。かくあるべきはないんだ。絶対的な答えをついつい探してしまう。宗教にはまってないのが奇跡みたいだ。

 

xと泡


想定してた順番としては、何事も決められたルールなんて存在しないが。頭の中や、何かを見て、聞いて、自分の中に現実に生み出したxが生まれる。xは自分の想像だ。下手くそだろうと、絵や文字として表現することができる。それを人に伝えて、こういうことがしたいと助けを求めることもできる。あるいは自らが独学で資料を参考にして試行錯誤もできる。それはつまり下書きであり、ストーリーだ。
自分が思い描いたから、次に何かを生み出そうとする。でも、実際問題として万事が万事現実にできるわけじゃない。頭の中で思ったところで、そこでとまる。大抵は泡のように弾ける。
現実に何かを作り出すには、あと一歩いるらしい。発明は実際に生み出した人が偉い。過去に戻りたがる精神は、言い訳みたいだ。いつだって後悔してるし、やらなくていい理由を探してる。それで生きていけたらなぁ。少なくとも、それで生きていくなら探さなけりゃならない。結局動くことは変わらんのだ。動く方向が変わらないからこそ、自分の中で折り合いをつけて、納得のいく方向に行くだろう。

 

まるで何でもできそうな人


ZUNさんってすげぇよなぁ。絵も音楽もプログラミングも物語も書く。この世にいるまるでなんでもできそうな人間の1人だ。学習能力というのだろうか?人間として根本的に備わってるものが違うの?


やりたくないから俺が逃げてるだけ?歩いてる途中にさ、やべぇ、次に何をすればいいか全くわからない。そういう場面に出会うわけだ。やばい、どうしよう、それだけが頭に浮かんで動けなくなる。彼らならどうするだろう?そう考えるんだけど、実際知ったところで、彼らなりに見つけた答えで動いてるわけだ。俺とは全く関係がない。知ったところで深く影響するのなら、まるで機械みたいだ。自分でたどり着いたわけじゃないから、応用も利かない。理想を持ちすぎ?俺の場合なら、次に何をどうすれば分からなかった、辞めてしまう。そういう毎日だった。代わりに調べて、今現在の問題点を羅列する。まず次にどんなことをしたいか書き出してみる。こういう問題解決のための行動を続けるにはどうしたんだろう。すげぇ人はやっぱすげぇよなぁ。

 

まず、全体の適当な流れやキーワードを1つ出す。そこを出発点として、想像の羽を広げていくわけだけど。人生全てで訓練でもしてるのだろうか。